あれから4年
- 2018/09/08
- 14:17
あれから4年 「交通事故」

2018・10・8
2014年9月14日午後6時43分
外出から帰宅時に自宅から5分もない横断歩道を青信号で進みました。

その後は記憶にありません。頭を打ち、脳震盪。
(大丈夫ですか)と耳元で言われて、倒れている状態に何が起こったか、わかりませんでした。
19歳の少年の自転車に追突されたとのことです。
通りががりのお二人の方が救急車に連絡してくださった様です。
救急車の方がお二人のお名前をお聞きしてくださったようですが、名乗らなかったそうです。
服は裂け眼鏡も買い物も吹き飛んで、それらを探して、拾い渡してくださいました。
お名前もお姿も見ていないので、お礼の言葉も申し上げてなく、本当に申しわけなく思っております。




当日は休日のため、どの病院も受け入れられなく、普段からかかりつけのA病院に搬送されました。
病名は左鎖骨骨折 ・左肋骨多発(5本)骨折との診断で、入院を希望しましたが、骨折は骨が付くのを
待つのみで治療は出来ないとのことでしたが内臓を打ったのか、大量の下血が2回も有りながら入院はできませんでした。
( この写真は3月か月過ぎに介護ベットの上で撮影したものです。)
右から走ってきたようですが、なぜ左もこのような状態になっているのか、いまだにわかりません。
要支援2で後の現場検証にも立ち会っていないので、事故状況はいまだにやぶの中です。
大きな打撃は骨折でなく頭の、左側にこぶが出来、脳外科に、内科に、眼科に、とストレスで帯状疱疹での入院
などでのタクシーの通院などの費用。会社の業務ができないこと。
怪我をした整形の費用は自分の傷害保険で一部いただきましたが、その他の費用はすべて自費でした。
会社の業務が出来ず社員に多くの負担を掛け、
家族には仕事の傍ら沢山助けをもらい、
要支援の認定も家族がいると、あらゆる面で助けにはなりませんでした。
思わぬ事故に大きなリスクを抱えた4年間でした。
以後自転車に会うと、通り過ぎるまで待つてあるく生活が続いています。
現在体力は衰えたものの、会社の業務の手助けは出来ております。
自転車に恐怖に脅える日々です。



2018・10・8
2014年9月14日午後6時43分
外出から帰宅時に自宅から5分もない横断歩道を青信号で進みました。


その後は記憶にありません。頭を打ち、脳震盪。
(大丈夫ですか)と耳元で言われて、倒れている状態に何が起こったか、わかりませんでした。
19歳の少年の自転車に追突されたとのことです。

通りががりのお二人の方が救急車に連絡してくださった様です。

服は裂け眼鏡も買い物も吹き飛んで、それらを探して、拾い渡してくださいました。
お名前もお姿も見ていないので、お礼の言葉も申し上げてなく、本当に申しわけなく思っております。




当日は休日のため、どの病院も受け入れられなく、普段からかかりつけのA病院に搬送されました。

病名は左鎖骨骨折 ・左肋骨多発(5本)骨折との診断で、入院を希望しましたが、骨折は骨が付くのを
待つのみで治療は出来ないとのことでしたが内臓を打ったのか、大量の下血が2回も有りながら入院はできませんでした。
( この写真は3月か月過ぎに介護ベットの上で撮影したものです。)
右から走ってきたようですが、なぜ左もこのような状態になっているのか、いまだにわかりません。
要支援2で後の現場検証にも立ち会っていないので、事故状況はいまだにやぶの中です。
大きな打撃は骨折でなく頭の、左側にこぶが出来、脳外科に、内科に、眼科に、とストレスで帯状疱疹での入院
などでのタクシーの通院などの費用。会社の業務ができないこと。
怪我をした整形の費用は自分の傷害保険で一部いただきましたが、その他の費用はすべて自費でした。
会社の業務が出来ず社員に多くの負担を掛け、
家族には仕事の傍ら沢山助けをもらい、
要支援の認定も家族がいると、あらゆる面で助けにはなりませんでした。
思わぬ事故に大きなリスクを抱えた4年間でした。
以後自転車に会うと、通り過ぎるまで待つてあるく生活が続いています。
現在体力は衰えたものの、会社の業務の手助けは出来ております。
自転車に恐怖に脅える日々です。
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