京都で年越し
- 2019/01/03
- 15:25
京都で年越し
2018・12・30
2019年は亥年。

早めの参拝。
白梅旅館に宿泊する時間までに京都駅から、護王神社に。

護王神社は、はじめ洛西の高尾山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称していましたが、確かな創建の年は伝えられていません。
明治七年、別格官弊社に列し「護王神社」を正式名称と定め、明治十九年、明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門前の華族中院家邸跡地(約千五百坪)の現在地に社殿を造営し、御遷座。大正四年には相殿神の広虫姫を、清麻呂公と並ぶ主祭神として併せ祀られた。

護王神社の御利益 「足腰の御守護」
清麻呂公が都より九州の宇佐八幡宮へ向かわれた際、何処からともなく現れた三百頭もの猪が宇佐までの道中を無事にご案内しました。その時、不思議にも清麻呂公が悩んでおられた足萎えが治った、という故事により、特に足腰の健康保持やけが・病気の回復に、格別の御利益があると篤く信仰されています。
2018・12・30

2019年は亥年。

早めの参拝。
白梅旅館に宿泊する時間までに京都駅から、護王神社に。


護王神社は、はじめ洛西の高尾山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称していましたが、確かな創建の年は伝えられていません。
明治七年、別格官弊社に列し「護王神社」を正式名称と定め、明治十九年、明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門前の華族中院家邸跡地(約千五百坪)の現在地に社殿を造営し、御遷座。大正四年には相殿神の広虫姫を、清麻呂公と並ぶ主祭神として併せ祀られた。

護王神社の御利益 「足腰の御守護」
清麻呂公が都より九州の宇佐八幡宮へ向かわれた際、何処からともなく現れた三百頭もの猪が宇佐までの道中を無事にご案内しました。その時、不思議にも清麻呂公が悩んでおられた足萎えが治った、という故事により、特に足腰の健康保持やけが・病気の回復に、格別の御利益があると篤く信仰されています。
スポンサーサイト