遺産クスコと郊外のインカ遺跡
- 2020/10/18
- 12:35
遺産クスコと郊外のインカ遺跡
2020・10・16
「2013・1・12・28~2014・1・5」の旅
標高3400m。アンデスの懐に抱かれた町クスコは、太陽を崇拝し
高度な文明を築いたインカ帝国の都でした。
クスコとはケチュア語(インカの公用語)で「「へそ」という意味。
「黄金の輝きは太陽の輝き、金は太陽の涙」と考えた人々は、
神殿や宮殿を黄金で華やかに彩りました。
しかし、皮肉なことにその豊富な黄金を狙ったスペイン人によって、
1533年、帝国は滅ぼされました。

民芸品が集まるマーケット

「サント・ドミンゴ教会」
別名 ユリりカンチャ
インカ時代には「宮殿」の名の通り、太陽の神殿として黄金に光輝いていた。
16世紀にスペイン人がインカ帝国を滅亡させた際に
神殿を破壊し教会を建設した。

上部の教会は地震後再建されたが、土台の石組みは、
インカ時代のまま残っている

「12画の石」
現地ガイドの通称”YOUJI”(青い服の彼の)素晴らしいガイドのおかげで、
マチュピチュもクスコも余すところなく体験出来、
本当に堪能でき、感謝しています。
「未知なる大陸」「未知なる国」「未知なる文化圏」には、
ガイドの質がいかに重要かを切実に感じた旅でした。

ハトウン・ルミヨック道りの宗教美術館の壁に
、周りの石とぴったり接合した12角の石が残っている。
精巧な石組みはインカの高度な建築技術を示している。


「サクサイワマン」
クスコの町を見渡せる高台。

「アルマス広場」
標高3400mの高地。
スペインは外国の都市を征服すると
、まずアルマス広場とカテドラルを建築し、
そこから植民地化を進めた。

「カテドラル」
シンメトリーが美しいルネッサンス様式の建物。
ファサードには手の込んだ装飾が見られ、
内部にも細かい彫刻や装飾が施されています。
現地の情報によると11月に「マチュピチュ遺跡」に入ることが可能にしたい、
という話も出ているそうですが、実現するといいですね。
2020・10・16
「2013・1・12・28~2014・1・5」の旅
標高3400m。アンデスの懐に抱かれた町クスコは、太陽を崇拝し
高度な文明を築いたインカ帝国の都でした。
クスコとはケチュア語(インカの公用語)で「「へそ」という意味。
「黄金の輝きは太陽の輝き、金は太陽の涙」と考えた人々は、
神殿や宮殿を黄金で華やかに彩りました。
しかし、皮肉なことにその豊富な黄金を狙ったスペイン人によって、
1533年、帝国は滅ぼされました。

民芸品が集まるマーケット

「サント・ドミンゴ教会」
別名 ユリりカンチャ
インカ時代には「宮殿」の名の通り、太陽の神殿として黄金に光輝いていた。
16世紀にスペイン人がインカ帝国を滅亡させた際に
神殿を破壊し教会を建設した。

上部の教会は地震後再建されたが、土台の石組みは、
インカ時代のまま残っている

「12画の石」
現地ガイドの通称”YOUJI”(青い服の彼の)素晴らしいガイドのおかげで、
マチュピチュもクスコも余すところなく体験出来、
本当に堪能でき、感謝しています。
「未知なる大陸」「未知なる国」「未知なる文化圏」には、
ガイドの質がいかに重要かを切実に感じた旅でした。

ハトウン・ルミヨック道りの宗教美術館の壁に
、周りの石とぴったり接合した12角の石が残っている。
精巧な石組みはインカの高度な建築技術を示している。


「サクサイワマン」
クスコの町を見渡せる高台。

「アルマス広場」
標高3400mの高地。
スペインは外国の都市を征服すると
、まずアルマス広場とカテドラルを建築し、
そこから植民地化を進めた。

「カテドラル」
シンメトリーが美しいルネッサンス様式の建物。
ファサードには手の込んだ装飾が見られ、
内部にも細かい彫刻や装飾が施されています。
現地の情報によると11月に「マチュピチュ遺跡」に入ることが可能にしたい、
という話も出ているそうですが、実現するといいですね。

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