三内丸山遺跡
- 2022/03/19
- 12:56
三内丸山遺跡
2022・3・24
2009・9・22 の思い出旅
青森県立美術館に隣接する縄文時代前期中頃から中期末期(約5500年前-4000年前)
の大規模集落跡。
八甲田山から続く穏やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20m
遺跡は約38㎡の広大な範囲に広がっています。
遺跡は通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に大型竪穴住居が
10棟以上、さらに祭祀用に使われたと思われる大型堀立柱建物が存在したと、
想定される。
出土遺跡は段ボール数万箱におようだそうです。
1958点が2003年5月29日に国の文化財に指定されています。




一般の市民が暮らしていたと思われる竪穴式住居跡もたくさん見つかっている。



「遺構」 六本柱建物跡
発見された遺構の中で最も重要視されているものです。
柱の穴の間隔、幅、深さがそれそれ4.2m、2m、2mで統一されている
当時すでに測量の技術が備わっていたことを示すものだそうです。

竪穴式住居住居に入らせていただきました。

第33次調査

現在も遺跡の西側、縄文時代のムラが広がる穏やかに登る、20標高20~30mの斜面を発掘調査しています。
この発掘の現場に立って50年以上も前に大学の考古学研究室で
群馬の古墳の調査に携わっていたことが懐かしく思い出されました。
2022・3・24
2009・9・22 の思い出旅
青森県立美術館に隣接する縄文時代前期中頃から中期末期(約5500年前-4000年前)
の大規模集落跡。
八甲田山から続く穏やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20m
遺跡は約38㎡の広大な範囲に広がっています。
遺跡は通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に大型竪穴住居が
10棟以上、さらに祭祀用に使われたと思われる大型堀立柱建物が存在したと、
想定される。
出土遺跡は段ボール数万箱におようだそうです。
1958点が2003年5月29日に国の文化財に指定されています。




一般の市民が暮らしていたと思われる竪穴式住居跡もたくさん見つかっている。



「遺構」 六本柱建物跡
発見された遺構の中で最も重要視されているものです。
柱の穴の間隔、幅、深さがそれそれ4.2m、2m、2mで統一されている
当時すでに測量の技術が備わっていたことを示すものだそうです。

竪穴式住居住居に入らせていただきました。

第33次調査

現在も遺跡の西側、縄文時代のムラが広がる穏やかに登る、20標高20~30mの斜面を発掘調査しています。
この発掘の現場に立って50年以上も前に大学の考古学研究室で
群馬の古墳の調査に携わっていたことが懐かしく思い出されました。
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