津軽五所河原
- 2022/04/01
- 14:44
津軽五所川原
2022・4・5
2009・9・20の旅

津軽鉄道で金木から芦野温泉へ。
芦野公園で下車、太宰治の小説「津軽」とともに時を刻んだのどかな駅で「駅舎」へ。
「金木駅長が東京からの帰り上野で芦野公園の切符を求め
(略)駅員に30分も調べさせ、とうとう蘆野公園の切符をせしめた...」
(小説「津軽より」駅です。
「昭和の珈琲」
太宰治も愛飲していたといわれ、当時のレシピをそのまま再現した珈琲と食事を。

太宰治が通った明治高等小学校

雲祥寺
幼少のときによく訪れていた寺

斜陽館
太宰治の生家

太宰治の生家「斜陽館」の東90mのところに生家
離れだつた通称「新座敷」があります。

太宰治は昭和20年に家族とともに故郷に疎開し、
再び東京に出るまで22の作品を書いていたそうです。





帰去来・故郷・津軽・薄明・たずねびと・海・庭・親友交歓・やんぬる哉・母・...
これらの作品を順に読むと戦中から疎開の後の太宰治の面影が
さらに生き生きと浮かび上がります。
2022・4・5
2009・9・20の旅

津軽鉄道で金木から芦野温泉へ。
芦野公園で下車、太宰治の小説「津軽」とともに時を刻んだのどかな駅で「駅舎」へ。
「金木駅長が東京からの帰り上野で芦野公園の切符を求め
(略)駅員に30分も調べさせ、とうとう蘆野公園の切符をせしめた...」
(小説「津軽より」駅です。
「昭和の珈琲」
太宰治も愛飲していたといわれ、当時のレシピをそのまま再現した珈琲と食事を。

太宰治が通った明治高等小学校

雲祥寺
幼少のときによく訪れていた寺

斜陽館
太宰治の生家

太宰治の生家「斜陽館」の東90mのところに生家
離れだつた通称「新座敷」があります。

太宰治は昭和20年に家族とともに故郷に疎開し、
再び東京に出るまで22の作品を書いていたそうです。





帰去来・故郷・津軽・薄明・たずねびと・海・庭・親友交歓・やんぬる哉・母・...
これらの作品を順に読むと戦中から疎開の後の太宰治の面影が
さらに生き生きと浮かび上がります。
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