37×365 母の日記
- 2017/07/07
- 12:02
37×365 母の日記
2017・7・10
【 父の死】

昭和五十四年十月十六日の上毛新聞
「 高柳磯五郎氏(元県立図書館長)
十四日午前11時ごろ、前橋市文京町二丁目二ー二十五の自宅で胃カイヨウのため死去。七十七歳。
昭和四年東大卒。旧制高商教諭を振り出しに、旧制前中(現前高)前女教頭、大間々高校長などなどを歴任。」
新聞の切り抜きが17日の日記に添付されている。

(1979.3.6)
日赤病院に診察に行く。
副こう丸炎と診断。
(1979・3・27)
朝8時にタクシーで日赤病院にレントゲンを撮りに行く。ジンゾウも綺麗だし副睾丸炎もだんだんによぅなるとの事で一安心かえりに少し散歩のつもりで歩いて帰る。
(1979・4・14)
日赤病院にゆき外科の院長の診察を受けて部屋の明き次第入院とする
(1979・4・17)
耳かき、眼鏡、つまようじ
今日日赤病院に入院 外科4階415室
(1979・4・26)
今日は手術日午後3時手術室に入り5時に部屋に戻る 子供達皆心配して居ったが手術が完全に行われたとの事で安心
この日から父の闘病生活がはじまり、母の長い看病生活が始まりました。
子供たちや孫が理想とし優しい父ではない、母だけが知る父の闘病日記が始まっています。

(1979・4・3)
ほんとうに自分勝手なおじいさんに皆あきれてしまいつくづく苦労知らずの人間は困ったもの
お手伝いさんが来たが役にたたず帰ってもらう
(1979・5・3)
わがままな病人であきれてしまう よくも50年一緒にここまで来たと自分ながら感心してしまう
もうこれ位で自由になり思いのままな気持ちになれそうだ おそまきながらやってみようと思う
(1979・5・8)
今日から自分で付き添う事にして、昨晩石原さんを帰す
今日は雨 整形外科で腰のレントゲン。
お互いに我がままいわずに過ごすことにした。
(1979・5・26)
今日退院昼食をすませて帰る
やっと自分の家に帰宅したのでなんだか夢の様
(1979・8・9)
日赤病院
(1979.9・8)
午後退院
(1979・10・1)
円山ワクチン6本目
(1979・10・14)
10時すぎに細谷さん若夫婦見舞いに来る
今朝は大分気分好く牛乳一口呑み西向きにしてねかせておき話をして居た
細谷さん帰り自分も見舞いの名簿を書き静かにねているのでいってみるともう息を引き取ったあとで
何を言っていいかわからない。

喜寿の過去辿ればあまた恋うひとの
浮び出づるも吾妻こそ愛(は)し
父の死後、机の引き出しから母への短歌が。
大学在学中に学生結婚をし50年を明治・大正・昭和をともに過ごした、母への深い思いが。
日記文は母が書き記したと同漢字、句読点に。
2017・7・10
【 父の死】

昭和五十四年十月十六日の上毛新聞
「 高柳磯五郎氏(元県立図書館長)
十四日午前11時ごろ、前橋市文京町二丁目二ー二十五の自宅で胃カイヨウのため死去。七十七歳。
昭和四年東大卒。旧制高商教諭を振り出しに、旧制前中(現前高)前女教頭、大間々高校長などなどを歴任。」
新聞の切り抜きが17日の日記に添付されている。

(1979.3.6)
日赤病院に診察に行く。
副こう丸炎と診断。
(1979・3・27)
朝8時にタクシーで日赤病院にレントゲンを撮りに行く。ジンゾウも綺麗だし副睾丸炎もだんだんによぅなるとの事で一安心かえりに少し散歩のつもりで歩いて帰る。
(1979・4・14)
日赤病院にゆき外科の院長の診察を受けて部屋の明き次第入院とする
(1979・4・17)
耳かき、眼鏡、つまようじ
今日日赤病院に入院 外科4階415室
(1979・4・26)
今日は手術日午後3時手術室に入り5時に部屋に戻る 子供達皆心配して居ったが手術が完全に行われたとの事で安心
この日から父の闘病生活がはじまり、母の長い看病生活が始まりました。
子供たちや孫が理想とし優しい父ではない、母だけが知る父の闘病日記が始まっています。

(1979・4・3)
ほんとうに自分勝手なおじいさんに皆あきれてしまいつくづく苦労知らずの人間は困ったもの
お手伝いさんが来たが役にたたず帰ってもらう
(1979・5・3)
わがままな病人であきれてしまう よくも50年一緒にここまで来たと自分ながら感心してしまう
もうこれ位で自由になり思いのままな気持ちになれそうだ おそまきながらやってみようと思う
(1979・5・8)
今日から自分で付き添う事にして、昨晩石原さんを帰す
今日は雨 整形外科で腰のレントゲン。
お互いに我がままいわずに過ごすことにした。
(1979・5・26)
今日退院昼食をすませて帰る
やっと自分の家に帰宅したのでなんだか夢の様
(1979・8・9)
日赤病院
(1979.9・8)
午後退院
(1979・10・1)
円山ワクチン6本目
(1979・10・14)
10時すぎに細谷さん若夫婦見舞いに来る
今朝は大分気分好く牛乳一口呑み西向きにしてねかせておき話をして居た
細谷さん帰り自分も見舞いの名簿を書き静かにねているのでいってみるともう息を引き取ったあとで
何を言っていいかわからない。

喜寿の過去辿ればあまた恋うひとの
浮び出づるも吾妻こそ愛(は)し
父の死後、机の引き出しから母への短歌が。

大学在学中に学生結婚をし50年を明治・大正・昭和をともに過ごした、母への深い思いが。
日記文は母が書き記したと同漢字、句読点に。
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